森林鉄道段戸山線 田口本谷線 1

*本谷線は「ほんたに」と読む、本谷は本当の谷、裏谷は本谷に対して裏の谷という意味。
*椹尾線は椹後とも書き「さわらご」と読む。

*寒狭山をはさんで北が本谷、南が椹尾という位置関係。

 段戸山線田口本谷線は始点(田口線終点三河田口駅の東)から寒狭山の北側を回り込むように西から北方面へ進み、本谷に至る森林鉄道である。
 始点から数百メートルほどで寒狭川右岸に渡り、2kmほど進んだところにある田口椹尾線との分岐点から北に向けて川を渡り、寒狭川右岸を上流・北西方面へ進む。(田口椹尾線との分岐点は川も2又に分かれているため、田口本谷線がここでもう一度川を渡ってもそのまま寒狭川の右岸を進むことになる)
 このままずっと寒狭川右岸を進み大名倉、宇連を過ぎたあたりから西から北へと向きを変え本谷にたどり着く。岩岳・宇連あたりでは、対岸にあった製材所へ引き込むための橋があり、その基礎は今も川に残っている。この製材所は澄川方面から切り出される木材の集積場を兼ねていたという。
 ここから更に寒狭川右岸を西へ進み、終点の2kmほど手前で川を渡って左岸にでる。ここは現在の県道田ノ口橋あたりで、注意してみると川から県道まで小さな軌道敷跡の堤を確認できるし、川には橋の基礎の残骸や、柱であったであろうボルトの刺さった丸太も残っている。田口椹尾線との分岐点からこの橋の少し手前までは軌道敷跡が東海自然歩道に変わっており、裏谷へ向かう東海自然歩道とはこのあたりで分かれることになる。
 左岸に出てからは更に北へ向かうがここから終点までの2kmほどは県道に変わっている。この先県道を少し進むと右手に水汲み場がある。この上あたりに水窪から持ってきた山の神があり、軌道をはさんで向かいには事務所があった。この山の神は県道から裏谷に向かって右側数メートルの山の中にあり、今でも営林署関係者によって祀られている。
 更に先へ進むと、ヘアピンのような急カーブに突き当たる。このあたりが本谷線終点の土場跡である。ここへは奥本谷の本谷橋あたりから鉄索により木材を搬送していた。奥本谷から奥にもレールが敷かれ、手押しのトロッコでも運んでいたそうだ。奥本谷あたりからは木材以外にマンガンや炭も搬送され、それぞれに架線があり木材を含めて3本の架線があったとは当時の作業者の話である。このように本谷線では木材だけでなく、マンガンや炭も同時に運んでいた。炭を扱っていた人もトロッコを借りて自分で運んだのである。本谷の終点やや手前、県道右上に大新マンガンの採掘所があったと、昭和24年米軍により作成された地図に記録されている。私もこの地図は持っている。

  田口本谷線の始点、分かりにくいが黒板に「昭和27年10月8日・田口土場」とある。濡れており雨の後のようだ。
  三河田口駅奥の森林鉄道始点から北へ200mほど上流にある田口の市街からから流れてくる小さな川を渡る橋。この先で寒狭川を斜めに横切って右岸(上流に向かって左側に)渡っていた。川からあおりのショットだろう。  
  現在の上の県道からのショット 
   上の橋を本谷側から撮った当時のショット、当時はこのようにコンクリートの橋に板を敷いていたようだ。2つ上の写真を見てもそれが見て取れる。
  現在のショット 
  上の写真の橋を渡った右側にある倉庫のような構造物、ガソリンなど危険物の保管庫だったのだろう。 
 3つ上の写真の橋から100mほど上流にあった寒狭川右岸に渡る橋。奥に見える製材所は今も残っている。
  鬱蒼として分かりにくいが、現在のショット。真ん中やや右に基礎が見える。今も崩れず当時のまま。 (上の写真とピッタリ合っている)
  上の写真から寒狭川の川辺に下りたところから上流、本谷方面を望む。写真右端真ん中に橋の基礎がそのまま残っている。
   上の橋で寒狭川を右岸に渡って間もないと思われる地点。前方に松戸橋が見える。軌道敷は松戸橋の下を通っていた。今は架け替えられた松戸橋から下を覗くと軌道敷跡が少しだけ残っている。
   寒狭川右岸に渡った軌道敷跡は現在東海自然歩道を兼ねた林道に変わった。2km弱ほど上流へ進むと右手に東海自然歩道のベンチがある。ここが田口本谷と田口椹尾線の分岐点。本谷線は右手にかかっている橋を渡るが、椹尾線は橋を渡らず林道をそのまま左方向、椹尾谷に沿って進む。
 東海自然歩道のベンチあたりからの当時の本谷線の橋と機関車のショット。本谷の土場へ向かう途中と思われる。
 
現在のショット
この橋を渡ると本谷線はそのまま寒狭川右岸を進む。本谷線は現在その多くが東海自然歩道に変わった。今はかつての橋脚に歩道用の橋が掛けられている。
 上記の橋を分岐してすぐのあたりの椹尾線からの当時のショットと思われる。
 現在のショット、下に当時の基礎が見える。
 これが椹尾線、写真右手に本線本谷線の橋(上の写真)がある位置関係。椹尾線はこれを前方に進んでいく。これをさらに前方へ進むと椹尾の部落跡を通って終点へ辿り着く。



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