御堂山観音と御堂山会

 御堂山観音は明徳元年(1390)年、真言密教の寺院として開基され田口十ヵ村衆の篤い信仰をうけたという。当時は長江にあって昭和25年(1950)に現在の田口字向木屋に移転した。本尊は聖観世音菩薩(伝・弘法大師作)で、観音堂内の脇仏には不動明王、毘沙門天、十一面観世音などが安置され、境内には稲荷大明神、満喜坊(奥の院)が祀られている。
 御堂山観音には36人衆の天狗が祀られている。御堂山観音の近くには伊奈街道が通っており、近世に入ると馬背の搬送(自分の馬による駄賃付・今でいえばトラックで荷物を運び運賃を得る)が盛んになりたいそうにぎわった。御堂山36人衆の天狗はこの馬の守護神として近郷の人々から信仰を集めていた。人々の大切な財産である馬を野放するときに狼などから守ってくれるのが天狗様だったからだ
 白山神社は白山権現神社として御堂山観音を鎮守する脇社であった。白山権現神社が御堂山観音にどのような経緯でいつごろ建立されたか定かではないが、寛永元年(1704)の代官差出覚書にその記録があるので、このころには白山神社があり、祭りを行っていたことが明らかである

 御堂山観音では戦国時代には獅子舞、笛太鼓、手拍子等を用いた田植え、シロカキのありさまなどをする田楽が行われていたが、江戸時代になって廃絶した。理由は分からない。火祭りは内容が漠然としており、正式なものははっきりしていないが五穀豊穣を願うもので、当時は盛大で近隣の村々から多くの人が集まったそうである。たいそう賑わったことは間違いない。博打が盛んにおこなわれ家屋敷や女房まで取られたという。喧嘩もあったのだろう
 御堂山会は、御堂山観音と白山神社の崇敬者によって設立された財団法人で、その基盤は御堂山観音と白山神社をとりまく3ヘクタールの山林と崇敬者からの寄付行為によって支えられていた。しかし財団法人法の改正で財団法人御堂山会はやむなく解散し、今地縁団体白山御堂山会に引き継がれている
 財団法人御堂山会は明治、いやそれ以前から田口十ヵ村に住んでいた170件ほどの地元の人たちで昭和25年に設立された。旧家というほどではないだろうが、皆江戸時代からの墓を持つ古くから住んでいる人たちが会員だ。このころはよそから来た人は会員に認めなかったようだ。排他的なようだが、何も地元に貢献していな人を会員に迎えることに躊躇したことは分からないではない。今では考えられないことだが当時は当たり前だったようだ

注:田口十ヵ村は愛知県北設楽郡設楽町の一部の地区で、向林(現八橋)、永江沢、怒田輪、柿平、小松野、長江、東路(現太田口)、中島(現栄町)、西路(現栄町)、田口町(現本町)。

*出典:御堂山観音由来記

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 御堂山観音
白山神社
風越36人衆の祭り


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